昨日、「「おむすび」って聞くと関東の(上品な?)女性をイメージ」すると書きましたが、じゃあ、「おにぎり」と聞いてイメージするのは、『裸の大将放浪記』の山下清画伯でしょうか。
当然、私が知っているのは、テレビドラマの中で芦屋雁之助演じるところのものですが。
多少ドモりながら、「ボ、ボクはおにぎりが、す、好きなんだな」というヤツです。
そう思ってググってみると「あれっ」、こっちも「おむすび」かいな。
山下清さんは東京、浅草の生まれのようです。
なら「おむすび」なんでしょうね。
芦屋雁之助氏没後の2007年(平成19年)にドランクドラゴンの塚地武雅を起用して復活した「平成版裸の大将」(「平成ライダー」みたいですが…)では、「おにぎり」になっていたようです。
私の勘違いでしょうか。
「おにぎり」か「おむすび」かって話はもう終わりましたので、このくらいにして、私が言いたいのは、“日本おにぎり協会”さんも言うように、
★呼び名やカタチより重要なこと
呼び名やカタチなどにより「おにぎり」と「おむすび」に分かれますが、日本おにぎり協会ではご自身に合った呼び方や握り方を推奨しています。「みんな違って、みんないい」という名言がある通り、呼び方や握り方に大差はありません。おにぎりを通して笑顔や人と人のつながりが生まれることが重要だと考えています。★
ってことなんです。
山下清さんのホントのエピソードなのか、ドラマの脚本なのかは知りませぬが、
おにぎりが貰えなかったらどうするのかを問われた彼の言葉として、
「おにぎりが貰えるまで歩くから、貰えないってことはないんだな」
というのがあります。
これは以前テレビで関根勤さんも紹介されてましたが、ホントに
「ん~ん、深い」ですね。
哲学的なコトバです。
おにぎりには、天才をしてその言葉を発せさせるなにか特別なものがあると思うんです。
おなじ携行食・ファーストフードでも、たとえばサンドウィッチならどうでしょう。
サンドウィッチが貰えなかったらどうするのか問われて、
「サンドウィッチが貰えるまで歩くから、貰えないってことはないんだな」
-いやぁ、これじゃタダのタカり?
っていうか、お前何さま?
となりませんか。
それだけ、おにぎりには単なる飯粒と具と海苔以外の「何か」が詰まっている気がします。
それはやはりおにぎり/おむすびが手(掌)で握る/結ぶものだからじゃないかと。
その証拠に、先の画伯の言葉のおにぎりの前に「コンビニの」って付けるとどうでしょう。
コンビニのおにぎりが貰えなかったらどうするのかを問われて、
「コンビニのおにぎりが貰えるまで歩くから、貰えないってことはないんだな」
-いやいやいや、賞味期限切れを漁ってる人みたいになっちゃいますね。
これはコンビニのおにぎりが手で握っていないことと無関係ではないと考えます。
根拠はありませんが…
先日終了したテレビドラマ『仮面ライダーゴースト』の最終回にもおにぎりが登場していました。
この『仮面ライダーゴースト』をご存知ない方のために、(あくまで私の解釈ですが)ざっくり説明しますと、主人公の青年は最初に敵に殺され、幽霊(ゴースト)として仮面ライダーに変身して敵と戦います。
その敵というのは、この世のものではないのです。
「あの世」というのか、「黄泉(よみ)の国」というのか、なんせこの世とつながっている「そっちの世界」なわけです。
で主人公が敵と戦いながら、最終話で人間として生き返り「こっちの世界」に帰ってくるんですが、その時に仲間からおにぎりを差し出されて、久しぶりに浮世の食べ物であるおにぎりにカブりつきます。
ごはん粒を口の周りにつけて微笑む主人公が象徴的でした。
これもサンドウィッチでもカツ丼でもなく、おにぎりじゃなきゃダメだと思います。
おにぎりはやはり特別なものです。
余談ながら、劇中に登場する、「あっちの世界」の人間である青年(第3のライダー)が、生まれてはじめて「こっちの世界」でたこ焼きを食べて感動し、そこからたこ焼きが大好物になるというシーンもありましたが。
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