2016年9月14日水曜日

お茶漬け

 今日はお茶漬けの話。

 あくまでもわたし個人の嗜好としてですが、夕食時に、オカズになる(ご飯のおとも・ご飯といっしょに食べるとおいしい)おかず(メニュー/献立)と、そうではないおかずがあります。

 ウチの家人などはお刺身でご飯を食べるのが好きなのですが、わたしにとってお刺身は酒のアテです。

 で、そういう献立が夕餉の食卓に上がったときには、白ごはんが残ってしまします。

 そんなときには、料理してくれた家人に悪いかなと思いながらも、冷蔵庫の中を物色して、漬け物などがないか探します。

 あればそれをオカズに残りのご飯を食べますが、なければ今度は食品庫(常温)の中から「お茶漬けのもと」や塩こぶ(乾いている方)を出してきてお茶漬けにします。

 少し食べたりないなぁというときには、お茶漬けをお替りします。

 お茶漬けで〆ると、お茶碗にごはん粒がこびりつかないので、あとかたづけ(食器洗い)もラクですよね(お茶碗限定ですけど)。

 居酒屋でも〆はお茶漬けをメニューに載せている店が多いです。

「ご飯もの」の時にもふれましたが、そう、お茶漬けはれっきとした「料理」なんですね。

『ウィキペディアWikipedia』(日本語版)にも、
『茶漬け』「茶漬け(ちゃづけ)とは、主に米飯に茶をかけた料理のこと。」
と、ちゃんと「料理」として1行目に書かれてあります。

 京都や奈良にはお茶漬けそのものを食べさせる専門(?)の飲食店もあります。

 ま、奈良は「茶粥」のほうが有名ですけど。

 「京都」「茶漬け」という2つのキーワードがならぶと、上方落語好きのわたしは桂米朝さんの『京の茶漬け』を連想してしまいます。


『京の茶漬け』

京の茶漬け(きょうのちゃづけ)は、上方落語の演目の一つ。京の茶漬とも表記する。

原話は、1775年(安永4年)に出版された笑話本『一のもり』の一編「あいづ」]。同種の笑話は、十返舎一九の『江戸前噺鰻』(1808年/文化5年)に「茶漬」の題でみられる。古くから同演題で演じられたとみられ、天保年間から残る大坂の寄席の根多帳に『京の茶漬』の記載があるという。

短く軽いネタで、3代目桂米朝、3代目桂文我など多くの演者が高座にかけている。
あらすじ
演者はまず、京都特有の「何もおへん(=ない)のどすけど、ちょっとお茶漬けでもどうどす?」という、来客の帰宅を暗にうながす挨拶について触れる。

ある物好きな浪花者の男が、「いっぺん、この茶漬けを食(く)てこましたいな」と考え、京都の知人宅をたずねる。知人の妻が応対し、知人は留守であることを男に告げる。男が「待たしていただけまへんやろか」と訊くと、知人の妻は「どうぞ、おざぶ(=座布団)お当ておくれやす」と言って、男を座敷に招き入れる。男と知人の妻が、世間話をしながら時を過ごしているうち、食べ物の話となる。男が鯛の刺身と酒の話をしながら、ゆっくりとキセルをふかすので、知人の妻は男のたくらみをなんとなく察する。

そのうち、昼時となる。男が「この辺に食べるモン注(い)うて、とれる店はおまへんやろか」と知人の妻に聞くが、知人の妻は「この辺、何にもあらしまへんのン」と答える。男は「左様(さよ)か。えらいどうもお邪魔をいたしました、ほんなら……」と帰るそぶりを見せる。知人の妻は、思わず「まあ、せっかくのお越しでしたのに……何もおへんのどすけど、ちょっとお茶漬けでも」と口走ってしまう。

男は履きかけた履物を脱いで取って返しながら「左様か、えらいすんまへんなあ」と言いつつ座敷に戻り、座りなおす。知人の妻は「ここで追い返したりしたら京者の恥」と考え、台所に入り、飯櫃の中にわずかに残った冷や飯をかき集めてよそい、漬物を添えて男の前に出す。男はお世辞を言いながら、茶漬けと漬物をゆっくりと食べる。「さすが、宇治が近いだけあって、ええお茶使ってまンな。お漬物も……うん、うまい! さすが、漬物は京都でやすなあ」

茶漬けを平らげた男は、もう1杯欲しくなり、茶碗を知人の妻の前に差し出してみるが、知人の妻はそっぽを向き、サインに気づかないふりをしている。男はごまかすために、茶碗をほめてみせる。「ええお茶碗ですなあ。清水焼ですかいな。5つほど買(こ)うて、大阪に持って帰りたい。どこでお買いになりました?」それを聞いた知人の妻は飯櫃のふたを取り、飯が残っていない様子が見えるように男の前に突き出し、

「このおひつと一緒に、近所の荒物屋で」
 ※
 (上記※~※;『ウィキペディアWikipedia』(日本語版)より)

まぁ、噺のメインはお茶漬けそのものにあらず、本音とタテマエを使い分ける京都人をちょっと皮肉ったところにあるのですが・・・。

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