2016年10月1日土曜日

平成米パニック



昨日タイ米の話のなかで、平成米パニック(←筆者が勝手に命名)のことを書きましたが、今になって思うとヒドい話でしたね。

 ウィキペディア日本語版では『1993年米騒動』という項目です(国際問題になったのだから西暦にしたのかな)。

(以下引用・抜粋)
1993年米騒動は、1993年(平成5年)の天候不順によって、日本国内で栽培されていたコメの記録的な生育不良から生じた食糧市場の混乱と、これに関連して世界の米市場にまで波及した影響を指す。
同現象では消費者はもとより、卸売り業者までもが米の確保に奔走し、小売店の店頭から米が消えるといった混乱が発生したが、同時に普段米を扱わない業者までもが、消費者の関心を集めるために米を販売するといったケースも発生した。
日本全体で1993年(平成5年)当時1,000万トンの需要に対して、収穫量が800万トンを下回る事態となり、食糧としての流通量が大幅に不足し、東北の米農家が飯用の米を購入するほどであった。北東北では翌年の種もみの確保が困難となる地域もあった。
日本国政府(農林水産省)の農業政策に翻弄されて、営農意欲を削がれた日本の農家が、深水管理などの基本技術を励行できなかったことも、被害を拡大させた。
米価は、秋口から少しずつ上昇を始めた。細川内閣は9月、260万トンをタイ王国、中華人民共和国、アメリカ合衆国から「緊急輸入を行う」と発表した。
しかし当時は、日本人がいわゆる和食の原点回帰や、食生活・食料品の安全などに強い関心を向け始めた時代でもあり、ポストハーベスト農薬など、輸入農作物に対する不信感も根強く、輸入米に対しての警戒心も消費者に見られた。
日本産のジャポニカ米は根強い人気のため、また市場の品薄感もあって買い溜めと売り惜しみが発生、米屋の店頭から「米が消える事態」にまで発展する。1994年(平成6年)の年明けには、米屋の前に行列が延々と続くなどの社会現象が発生した。
当時の世界の米の貿易量は1,200万トンであったが、その20%に当たる米を日本が調達したため、国際的な価格高騰を招いた。タイ国内でも米価が急騰し、タイ国民が日本の不作の煽りを大きく被るという事態になった(後述)。
この混乱の中では、農林水産省や食糧庁の職員が、職務を通じて入手した情報を元に、まだ出荷されていなかった日本産米の購入を行おうとしたことが報道され、一般国民の反感を受けるケースも発生している。
この不作への対応として、日本国政府が各国に米の緊急輸入の要請を打診した。この打診にタイ王国政府はいち早く応え、日本国政府は「取りあえず、保管している米を輸出して欲しい」と要請。タイ王国政府は、自国の備蓄在庫を一掃する形で日本国政府の要請に応えている。
当初日本国政府は、日本人の味覚に合ったアメリカ産米や中国産米を主食用として、タイ米を加工用原料として輸入することを考えていた。しかしタイ米に比べ、アメリカ産米や中国産米は輸入量が揃わず、結局主食用にもタイ米を流通させざるを得なかった。
しかし大量に輸入したタイ米は、日本人の嗜好や、国内の炊飯器や調理方法に適合せず、かつての臭くて食感が悪かった「南京米」の記憶が残っていたことなどから、不人気であった。新聞やテレビ等では、タイ米の本来の調理法から、国産米と同様に食べられる方法などが特集されたが、需要を回復するに至らず、日本国政府は、国産米とタイ米のブレンドを指導するなど、苦肉の策で対処した。
しかしブレンドされた米は、ご飯に生米が混じったような不味い食感になり、かえって悲惨な結果となった。また「輸入したタイ米からネズミの屍骸が発見された」や「タイ米の米袋から錆びた釘が発見された」などの事例をとりあげた報道が見られたことも関連したと考えられる。
当然、タイ国内では米価格が高騰して、貧困層に餓死者も出るなど混乱が生じたにも関わらず、事態終息以降に大量に売れ残ったタイ米は、不法投棄されたり家畜の飼料にされたりするなど、産業廃棄物(食品廃材)として処理され、タイ国内の混乱を知る者からは、これを悲しむ声も挙がってきた。
タイでも「今なお日本でのタイ米の大量放棄の問題が根深く残っている。」と指摘した。
(引用おわり)

 とまぁ酷い話ですが、ここでもやはり「NO粋省」と煽り屋(メディヤ)のご両人がご活躍ですねぇ┐(´ヘ`)┌






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